レスピーギは「地(⇔海)」のドビュッシー @大フィル吹奏楽スペ
要約:オーケストラと吹奏楽のコラボっていうけど、結局何がしたいの?
<スペシャルライブ>吹奏楽meetsオーケストラ
2011年2月25日(金)19:00開演 (18:00開場)指揮:下野竜也
トロンボーン:中川英二郎※
監修:丸谷明夫(大阪府立淀川工科高等学校名誉教諭・吹奏楽部顧問)◇<プログラム>
フンパーディンク/歌劇「ヘンゼルとグレーテル」より“夕べの祈り、夢のパントマイム”
大栗 裕/大阪俗謡による幻想曲
シャーマン/チムチムチェリー(中川英二郎バージョン)※
モンティ/チャルダッシュ(中川英二郎バージョン)※
(アンコール:無伴奏による「アメイジング・グレイス」※)兼田敏/パッサカリア(管弦楽版:中原達彦編曲)
J.S.バッハ(ストコフスキー編曲)/前奏曲 ロ短調 BWV.869
レスピーギ/バレエ組曲「シバの女王ベルキス」
(アンコール:V.ウィリアムズ/イギリス民謡組曲より 第3曲 行進曲「サマセットの民謡」◇)
公演スケジュール : 大阪フィルハーモニー交響楽団 - Osaka Philharmonic Orchestraより。アンコール曲など追記
後述する疑問の半面、フンパーディンクを聴けた時点でこの演奏会良かったなーと思えた。当初はデッドだったこのホールの、建材がこなれたのか、ふくよかな響きがふわっと立ち上がるのを確認できたのは、付属オケの音では得られない大フィルゆえなのかもしれない。
だがこのオケと吹奏楽のコラボ3回目、プログラムが発表されたときは個人的に少々落胆した。今回ソリストは既存の協奏曲を演奏しないし*1、トリは初回と同じレスピーギ*2。しかも複数の在阪オケが長くない期間にとりあげている「シバの女王ベルキス」。もちろんオーケストラでなかなか生で聴けない曲だし、「大阪俗謡による幻想曲」は大フィルゆかりでひさびさの公演、「パッサカリア」に思い入れのある方も多いだろうが、3回目して十分練られたの? もっとほかに曲あるやん? と。
このコラボが好評なのは、同じ下野さんが九州交響楽団でも同様の企画を振り、N響も「ほっとコンサート」と銘打つ青少年向け公演をしていることから、顧客としての潜在的ニーズがうかがえる。
でも、と素に戻る。結局オケと吹奏楽のコラボって何がしたいん? と。
やっぱり顧客層開拓なのかな。でも実際どうなんやろ。吹奏楽しか頭になかった人が足しげくオケの公演聴きに行くようになったん? 逆にオケの愛好家が吹奏楽に耳を貸すようになったんやろか? 吹奏楽のどこにそんな魅力をたえた鑑賞する場があるだろう。 そもそもその成果は観測され得るものなのだろうか。
シリーズ化が3回目と来て、三度目の正直ではないが一度再考の時かな、と。珍しい曲目が聴ける点では今後とも続けてほしいですけどね。としても、N響が報道機関の傘下として当然有すMCの技術ないし進行台本を、既にネタが枯渇している下野さんと丸谷さんのやりとりに導入しないとね。あと管楽器との既存の協奏曲をやることが肝要だと思うのは、吹奏楽にとってのソロないしソリは一瞬照らされるスポットの域を出ない、それは通常の吹奏楽編成でもアンサンブルでもってこと(つまりコンクールでも学校・楽団の定期演奏会のたぐいでは触れられない。大勢と一個人の競演という音楽に)。
でとってつけたように言うが、演奏は実に素晴らしかった。吹奏楽的に「つまらなく」悠然としていて良かった。「シバ-」より「夜明けのベルキスの踊り」はコンクールでカットされるであろう旋律がウネウネするところが実にドビュッシーっぽいんだ、って個人的な発見。シンフォニーホールだと音響飽和するから、これからも芸文でやるといいと思うよ。
明日はスペシャルライブ♪ 大阪フィルハーモニー交響楽団の公式ブログです。
地車囃子(だんじりばやし)に包まれて・・・ 大阪フィルハーモニー交響楽団の公式ブログです。
「大阪俗謡による幻想曲」のご開帳 - 仕事の日記
- アーティスト: 高木和弘,下野竜也
- 出版社/メーカー: Naxos
- 発売日: 2002/05/01
- メディア: CD
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Respighi: Belkis Queen of Sheba Suite / Dance of the Gnomes / The Pines of Rome
- アーティスト: O. Respighi
- 出版社/メーカー: Reference Recordings
- 発売日: 2001/09/04
- メディア: CD
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*2:該当公演のレポ→管弦楽⇔吹奏楽の功罪 - To Walk with Wings
校閲は文章を見る術を
一応身につけるけど、いざ書くとなると全然フィードバックない。ただひたすら「読めない文章にしない」くらい。
「らき☆すた」な課題曲を作曲した鹿野さん、「フラクタル」音楽担当に
アニメ「らき☆すた」に着想を得たと話題になった吹奏楽コンクール課題曲の作曲者鹿野草平さん[twitter:@SouheiKano] が、2011年1月放送予定のアニメ「フラクタル」の音楽を担当することがわかった。鹿野さんのブログで発表された。
鹿野さんは「らき☆すた」のOP「もってけ!セーラーふく」に着想を得て「吹奏楽のためのスケルツォ 第2番 ≪夏≫」を作曲、2010年の吹奏楽コンクール課題曲?として発表されると、アニメファンや吹奏楽関係者らから話題となった。一方「フラクタル」は同じ吹奏楽を題材にした小説「アインザッツ」(10月より発売中)を執筆した山本寛さんが監督を務め、批評家・作家の東浩紀さん[twitter:@hazuma]、アニメ「true tears」などの脚本家岡田麿里さんらが制作を担当する。
山本さんは「アインザッツ」をテーマにした吹奏楽曲を作曲家の天野正道さんに委嘱し、自身で指揮を振って演奏するなど、吹奏楽との関係を深めている。また「らき☆すた」の監督を当初務めていたが途中で降板させられたという経緯もあり、監督としての起死回生もさることながら、今回の鹿野さんの起用は新たなコラボレーションとして注目される。鹿野さんはブログで「委嘱作品に近い自由な音楽を作ることができた。どんなシーンに使用されるか楽しみ」などと語っている。
【告知】アニメ音楽担当『フラクタル』 | 鹿野草平 なんたる日記
フラクタル - FRACTALE - 公式サイト
小説「アインザッツ」紹介サイト:http://www.e-animedia.net/app/index.php?CMD=JMP&ID=mainpool/newpub/np_0001
(以上、ニュース風に書いてみた)
デュラララ!!>デュラハン>ヴァルハラ>ニーベルング>ワーグナー
人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正当だといえるのは、自衛を目的とする場合だけである。文明社会で個人に対して力を行使するのが正当だといえるのはただひとつ、他人に危害が及ぶのを防ぐことを目的とする場合だけである。
- 作者: ミル,山岡洋一
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2006/12/07
- メディア: 文庫
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近況ですか?うーん、とりあえずtwitter機能を試してみましょうよ。
現在の私のふぁぼられTOP5(http://favotter.net/user/cognoscenti&mode=best)です。コメントをつけてみましょう。
[twitter:@cognoscenti]
そういう社会でないので今のところ30歳まで僕は高卒です。正確には公立大学2部中退。どんとこい。
twitterをやり始めてみられる葛藤を代弁しただけです。発言時期と現在ではかなり状況が変わっていてなんですね。
というところの「みんな」という共同体なんてとっくに消滅してると思ったのですが・・・
現在放送中の「twitter(笑)ドラマ」第1話をみたときの感想。デュラララ!!の方がうん千倍面白いです。
私も見に行ったブーレーズ氏の京都賞の講演のお話。こういうのってプレスリリースやらメルマガでお知らせされても、その通の人たちのネットワークに情報を改めて投げないと広まんないよね。
・・・で、実生活はというと、名古屋に転職が決まったー汚い大阪の下宿もおさらばー、とおもったら2ヶ月の出張ニートだった(新築やのに)、ということで実家です。わかってもらうような記述はいたしません。あっこれmixiに書いたほうがよかったのかな、まあいいや。
最近わりとはまってる音楽貼っときますね。
私のBest10
とうとつにベタなことを書いてみたくなったりした。twitterで「このCD(演奏・曲)は良い」と呟いてみてもすぐ流れてしまって、こればかりは一つの呟きが逆作用してしゃーなくて、ここはひとつまとめてみたくなったわけで。
20代半ばの一介のリスナーが何を聴いてるのか、という他人のサンプルも知らないし、現時点で整理のために書いてみるのも手かなーと。順番はあんまし関係なし、例によって偏ります。
[rakuten:hmvjapan:10254797:detail]
このCDの愛着故のこの記事の始まり。ジャケットも良い。いつも寝るときに聴いている。ガット弦の響きがフォーレのこの曲とマッチしすぎている。実はフランクも決定盤なのではないか。
- アーティスト: ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団,マーラー,アバド(クラウディオ)
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2002/05/22
- メディア: CD
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響きすぎだとか、空疎だとかいわれようが、これが究極。だいたい僕はデジタル録音の精度が一つあか抜けた90年代以降のものがまず聴きたくて、バルビローリもレニーも素晴らしいけど、この音圧・この曲に飲まれたい。
[rakuten:hmvjapan:10231738:detail]
これはV.ウィリアムズ「揚げひばり」の一曲で。PS3を手に入れたのでSACD盤で買えばよかったのになー。まだ交響曲は5番くらいしか聴いてませんが、第3楽章ですね。
- アーティスト: ハンプソン(トーマス),ウォルトン,ラトル(サイモン),バーミンガム市交響楽団
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1998/08/21
- メディア: CD
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ウォルトン:交響曲第1番。フィナーレで泣く。混沌に泣く。はやくディヴィス/LSO盤聴かんと。
- アーティスト: ラトル(サイモン)
- 出版社/メーカー: EMIミュージックジャパン
- 発売日: 2009/08/05
- メディア: CD
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ブラームス:交響曲第3番。ラトルの新盤と同時並行で僕が生きてるので、シューベルト「グレイト」もそうなのだが、プロムスのライブがきっかけで嵌(はま)った。ブラームスの最高。
- アーティスト: オイゲン・ヨッフム,アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
- 出版社/メーカー: ALTUS
- 発売日: 2001/07/14
- メディア: CD
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第2楽章、ほんといいですね。言葉が見つからない。
- アーティスト: ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ヴァント(ギュンター),ブルックナー,ヴァント(ギュンター),ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- 出版社/メーカー: BMG JAPAN
- 発売日: 2006/12/06
- メディア: CD
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ここ一週間毎日この曲聴いてる。言葉がありません。(で、このCDは実は持っていないという)
- アーティスト: ツィマーマン(クリスティアン),ラヴェル,ブーレーズ(ピエール),クリーヴランド管弦楽団,ロンドン交響楽団
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2009/04/29
- メディア: CD
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ブーレーズ京都賞記念。ピアノ協奏曲2曲。この録音以降、これ凌駕する録音ありましたか?
あと私的ですが、ブーレーズ氏と握手しました。CSO自主制作盤(「グラゴル・ミサ」入ってるやつ)にサイン2カ所いただきました。
- アーティスト: Arthur Honegger,Francis Poulenc,Mariss Jansons,Amsterdam Concertgebouw Orchestra,Luba Orgonasova,Netherlands Radio Choir
- 出版社/メーカー: Rco Live Holland
- 発売日: 2006/11/14
- メディア: CD
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オネゲル:交響曲第3番「典礼風」。2楽章って本当は複雑なんですね、大阪シンフォニカーで先月聴いたけど、美しさがかなり危うい構成の上に成り立っているように思える。
この「悲愴」にこの演奏。しばらくこれで満足なんですが、次の一枚を探したい。ゲルギー/N響も良かったのでは。
と、気ままに書くとこんなものか。心の平穏を求める方向になったから、たぶん次書くとしたらキツい方のBest10書くと思う(ショスタコ4とか)。あと器楽・室内楽方面は勉強が足りません(エマールのリサイタルは白眉でした)。
皆さま、良いお年を。*1
Talk with Pierre Boulez
twitter用に編纂しつつ投稿し、手直してたんぶらにあげたけど、文字ちっさいので、代替的にこちらへ(デザインいじってたら大差なくなったけど)。
http://cognoscenti.tumblr.com/post/237193219/talk-with-pierre-boulez
行ったのはこちら→http://www.inamori-f.or.jp/ja_topics_091001.html
先日の座談会がニュースサイトに幾つかあがってるので、昨日のメモをあげてみよう。
読売新聞http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20091108-OYT8T00129.htm
京都新聞http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009110700146&genre=M1&area=K00
毎日新聞http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20091108ddlk26040328000c.html
(毎日は何故「勉強」を「働いて」にしてるんだろう?)
藤倉大(F)「作曲をするという行為についてまず聞きたい」
Pierre Boulez(B)「非常に多くの側面がある。作品ごとに異なり一つとして同じものがない。楽器編成、音、テーマなど。音の例としては『エクラ』、まず音へのインスピレーションがあり、共鳴楽器と音の長短から始めた」
「次に楽器編成を決め、これらの音響を各楽器の共鳴の長短(ピアノを1とするとヴィブラフォンはその半分など)の検証で発展させた。またすべての楽器を同時に短く演奏すると共鳴が聞き取れない状況を曲に取り込んだ。この場合リズムの要素はあまり重要ではなかった」
「そして指揮者と演奏者の関係を自由にし、演奏する楽器の順序を指定することで、いわゆる『管理された偶然』を導入した。これで重要な要素以外は排除しつつ、自由に発展する、空気のように漂うような作品ができあがった」
「『・・・エクスプロザント=フィクス・・・』では音色へのインスピレーションがあった。エピソードA(音色)の次にB(音の種類)、C、A2(A の繰り返し)、D・・・と、演奏による人間の意図的な反応を排除するため予測させない順序を取り入れた。これは絵画でいう『モザイク』の作法に因る」
F「スケッチを書いたりするのか」
B「曲によりけり。私の手の内にある要素については直ちに書く。そうでない場合、しばしば作曲から全く違う方法から入り、解決が見つかることがある。文学や絵画(展覧会)など。これらを作曲というコンテクストに落とす」
「ポール・クレーの絵画クラスで学んだ時、とにかく練習しろといわれ、円と線というシンプルな概念から創作したが、思いがけない発展性に気づかされた。一見作曲と関係ないところから勉強をしてみることが大事」
F「ピッチ、リズムといった要素はスケッチに書くのか」
B「曲によりけり。ぼやけたポイントから発展させることも。『デリーヴ?』はリゲティの晩年の作品を参照した。アフリカ音楽の持つ単純で効率的な周期性が面白いと感じ、だが必ずしもリズムを考慮しない状態で、あくまデータとして発展させた」
F「一度作った作品を長くすることがあるが、冒頭には作曲されない。曲の終わりについてはヴィジョンがない、ということなのか」
B「特には。『レポン』については終わり方は決めていた。スパイラル(螺旋)というアイデアを考えてみれば、長さにかかわらずどこで切っても線として完結し終わる」
F「作品を短くしたりすることはあるのか」
B「NO。リバイブするときは必ず長くなる。リッチにする方向に作曲する。『シュル・アンシーズ』は最初は5分の作品だったが、最終的に45分になった」
F「で、まだ終わっていない」
B「この曲はそうかもね」
F「どのような音楽の影響を受けてきたのか」
B「西欧以外の文化に興味がある。東洋の文化には往々にして西欧に失われた豊かさがある。日本・中国・チベットの儀礼や祭典の音楽は魅力的で興味深い。バリやアフリカは常に文化と音が一体になっている印象がある」
「それらは私の場合、バリ、ガムランの金属系打楽器の特徴的な音調をヴィブラフォンとして、アフリカの木製打楽器をマリンバとして、そのまま取り込むのではなく、分解・分析し、構造・要素に還元して取り込む」
「子どもの頃はもちろん自国の文化やベートーヴェンなどの古典にも触れたが、まずドビュッシーの『アラベスク』、そのモダニティに感銘した。その後シェーンベルクに一時傾倒したがりズムが弱いと思いストラヴィンスキーへ。ただ今度はポリフォニーが弱いと思いシェーンベルクに戻ったり」
F「作曲家について、ドビュッシーやストラヴィンスキーのどの作品に影響を受けたか、会場から質問を預かっている」
B「ストラヴィンスキーは当然『春の祭典』。管弦楽の傑作だが、繰り返し・テーマが限られ、それらをより豊かにしたのが『結婚』。いわゆる新古典に分類するものは好きではない。彼の気質を表してない。フランスのインテリからの着想は彼にとってマイナスだったのではないか」
「ドビュッシーは初期は強みを持っていたが徐々に弱くなっていた。これはメシアンと議論したときも同じ意見だった。傑作は『練習曲集』、ショパンの技術を使い、限られた材料を発展させて音楽の新しい発明をした量は画期的。他に『遊戯』『フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ』未完のソナタ」
F「他の作曲家の影響を取り去ることはするのか」
B「必ずしもしない、むしろ歓迎。そのままではなく、テーマ・解決法を取り入れる。『練習曲』を分析したとき、12音技法とオクターブが重要であると気づき、その要素を作曲に取り入れた。わざわざ私が言わなければ誰の影響か聴衆は分からない」
京都市立芸術大学(クラリネット専攻)「氏の作品にはシンメトリー・完璧さがうかがえるが、西欧的「神」やデジタル的思想ではない、東欧的概念(例えば、月は満月そのものではなく、雲のかかる月こそが美しい、と思う日本人の感性)についてどう思うか」
B「完璧さを求めているわけではない。何度もやり直す。理想などをゴールにする。満月はある意味退屈である。雲のかかる月(その関連性)も重要だ。『エクラ』での短い演奏で共鳴が認識できないというアイデアは、むしろ完璧さの破壊を志向している」
大阪音楽大学(作曲専攻)「バイロイト音楽祭やベルク『ルル』の初演などオペラの貢献も大きいが、声楽を用いた作品(『ルー・マルトー・サン・メートル』など)は多いのに演劇性のある作品はない。そのようなアイデアはあるのか」
B「かつてしようと思ったことがある。だが具体化する機会がなかった。アクターズ・カンパニーに関わる機会(純粋に演劇の付随)で、その制作過程に興味を持った」
「共作しようとした作家がガンで亡くなり、バレンボイムの紹介でハイナー・ミュラーも同じくガンで亡くなった。どうもそういうジンクスが(会場笑) 劇場の形態は変えられない。実験をするには形態を変える必要。音響的な問題が一番大きい。むしろやりたくないという状況、いつまでこのままかな(笑)」
「西欧の伝統からして、演劇は新しいことをやっていない 能、文楽は面白い。演劇と音楽との関係が、西欧にない方向性を提示している。仮面・影絵など 真似ではなく提示方法を採用しようとしたことがある」
弁護士「著書や発言の普遍性を尊敬している。経験則から人生の助言を」
B「NOと言うな。自分とは異なる考え・行動に対しオープンに接すること。好奇心を持て。過激な発言で物議を醸したが、守りに入ると駄目になる。ルツェルン・アカデミーで新しい楽譜を開き、新しい才能に会うのを楽しみにしている。それを止めるとすぐお墓行きのつもりだ」
京都市立芸術大学(作曲専攻)「声と楽器の親和性について。人の声はかなり多様だが、どのような位置づけで作曲するのか。また声楽と器楽の関係についてどう考えているのか」
B「両方の状況がある。声が楽器に吸収されたりその逆もある。テキストが意味を成すように作曲する時とそうでないと時と。ソノリティだけを提示したりする場合もある」
F「今後の音楽の方向性について。若い人たちへのメッセージ」
B「ずばり、わからない(会場笑)。50年前に同じ質問に対しては野心的に答えただろうが、一つの方向性という感覚を失った。木のような形を考える。枝が分かれ葉が成る多様性を持つ木を。作曲家になりたいのなら、勉強しなさい、勉強しなさい、勉強しなさい」
F「京都賞の理念に共感しての今回の受賞なのか」
B「もちろん、そのために来日した。受賞に際し財団から地元の人たちと交流するようにと申し込まれたが、そのような姿勢に感銘を受けた。一つのコミュニティにとけ込むという機会は興味深く、楽しみにしている」
2009.11.7(Sat) @Kyoto
受賞講演会とワークショップも行きます。
「1Q84」を読んだよ、と音楽
(以下、「1Q84」について、普段そんなに読書を嗜まない、それよりオーケストラを聴いていたい一介の若輩の戯れ言 批評とかはたぶんしてない)
私は読書を主食にはしていないので、冒頭のヤナーチェク「シンフォニエッタ」の引用を立ち読みしなければこの世界には立ち入ることはなかったかもしれない。「シンフォニエッタ」はそれほど管弦楽曲の中では特異で、言ってしまえば奇妙な曲である。この曲が冒頭に示され、時折憮然として文中で思い出されるのは、奇妙であるがゆえに、「1Q84」という世界への導入に成功しているといえる。
ただ「1Q84」を多くの人が買い、言及されるジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団あるいは小澤征爾指揮シカゴ交響楽団の録音をまた買うというのは、本の購入者層がCDを1枚買うなんて些細なことに余力があるというだけで、ネットを使う人ならば上のブーレーズ指揮BBC交響楽団のProms2008でのライヴを一度見てみればいい。文中に示される音楽への関心なんて、言うほど大きくはないし参考にしかならないので、これで増産ウハウハと話題にするのはCD売上げ自体がマスで減少傾向にある現状的にナンセンス。
加えて個人の音楽観として(まだ多くの作品を聴いてるとは言い難いが)、ヤナーチェクという作曲家は、音楽の要素だけ見れば、異なるリズム要素をあえて同居させることで*1独特の形而上的な音空間と感情の激昂を創造する希有な作曲家であって、「ボヘミアの風景を思い起こす」と言及されるようなチェコの作曲家という面は基底としてあるとしても、注目されるべきはそのリズム感性だろうし、「1Q84」への契機というのはむしろそのリズム感による焦燥感や異質感が助力しているのではないだろうか。*2
世界を操作する、という想像力
物語に話を移すと、目次だけ見れば2人の主人公の出来事が交互に描かれることがわかるし、書評をいくつか読めば「メタフィクション」であることも示唆される。おおむね好評で「村上春樹の総決算」などとも言われているが、それを「想定の枠に収まった」として批判したのは東浩紀氏(「週刊朝日」09年6月26日号)。引き合いに出しているのは、
・・・ たとえば、よく指摘されるように、1Q84の物語は明らかにあるタイプのエロゲーに似ている。そして、ぼくの『ゲーム的リアリズムの誕生』や『美少女ゲームの臨界点』の読者であればわかるように、それは決して偶然ではないし、また一般論で片付けられる話でもない。なぜならば、現在の萌えの基本パラダイム(のひとつ)を作ったKEYのゲームは、そもそも村上春樹の影響を多分に受けていたからです。つまり、村上がエロゲーに似ているのではなく、エロゲーが村上に似ているのです。そしてこの影響関係は、いままでの文学論では見えてこなかった村上評価を可能にする。今回の1Q84は、そういう影響関係を村上自身が自己証明してしまったような作品であって、その意味では重要と言うこともできる。 ・・・
困ったものだ - hazumaのブログ
美少女ゲームである。もうこれだけで本の主要読者と対話が拒絶されそうだが、それこそ不幸というもので、はてしなく飛躍していくと陵辱ゲーム規制につながりそうである。
それはともかく、村上的な想像力をこの10年強で推し進めてきたのは美少女ゲームと言えそうだ。具体的に思いつける作家としては(これまた私は訓練されたエロゲーマーではないので)、田中ロミオや麻枝准だろうか。田中ロミオが手がけた「CROSS†CHANNEL」「最果てのイマ」など、麻枝准が手がけたゲームブランドKeyの一連の作品「CLANNAD」「リトルバスターズ!」などは、大同小異、大文字の「世界」を読者に意識させる作品だ。言い様によっては、キャラ数がより多く物語の仕掛けも巧みであるから、村上より上手かもしれない。これらの作品に私はいたく感動したし、個人理に埋没されないインパクトを植え付けたが、むしろこれらの作品に触れていたからこそ「1Q84」を楽しめた、という面がなきにしもあらずで。*3
だからというわけではないが、村上的な想像力が今どのように展開されているかは、村上春樹の次回作を気長に待つよりは、これら美少女ゲームに確かめられた方が賢明かもしれない。そして美少女ゲームが”健全な”体裁でもって書籍化するのを待つのは無意味で、エロゲーの想像力を受容するにはゲームという形でなければならない。作者自身のインタビュー*4でも言われているように、作者は「物語」への回帰を希求しているが、むしろその物語を新しい形で模索していたのが美少女ゲームである、という気づきは肝要だろう。ただ一方で、美少女ゲームや昨今のまんが・アニメが形成する「萌え」という刹那的反応への傾倒は、同時に物語の危機として存在しているが。
- 出版社/メーカー: FlyingShine
- メディア: CD-ROM
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ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/16
- メディア: 新書
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箇所として一つ指摘しておくと、BOOK2最終部分の天吾が己の生き様を振り返る際の、大学生時のくだりでの修辞にかなりさーっと曳くものがあった、レシヴァ同士の暗示。
音楽についてのよもやま話
脱力して音楽の話に戻ると、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」は冒頭に掲げられてることもあって日和見で結局読まない人にも契機を与えているのだけれど、もちろん他にも音楽は登場する。クラシック関係のみ目についたものだと、ダウランドの古楽器による演奏(おそらくリュート)、テレマンの各独奏楽器のためのパルティータ、「BWV846からBWV893」すなわち「平均律クラヴィーア曲集 第1巻と第2巻」、「BWV244」すなわち「マタイ受難曲」よりアリア「罪の悲しみは」。ジャズや映画音楽も出てくる。
なかでもバッハの2作品は重要で、特に「平均律クラヴィーア曲集」の構成は「1Q84」の構成とシンクロしている。きちんと読了した人は「シンフォニエッタ」より「平均律クラヴィーア曲集」を聴いた方が示唆に富むのではないだろうか。そして次回作は、ハンス・フォン・ビューローが「平均律クラヴィーア曲集」を「旧約聖書」に、ベートーヴェンのピアノソナタを「新約聖書」に準(なぞら)えたように、ベートーヴェンのピアノソナタの曲数をおいて32章構成になったりするのだろうか。
あと天吾は「シンフォニエッタ」を吹奏楽コンクールでティンパニ奏者として演奏した、というエピソードがあり、これをふまえて今後実際のコンクールで「シンフォニエッタ」を自由曲にもってくる団体が出てくるかもしれないのだけれど、正直そのようなノリは不快に思うし、管弦楽作品を管楽器のみに置換することでその色彩感を欠いてしまうのは、これまでも言ったこと。カット前提でない演奏会で全曲演奏してみるという力業を試みるならばまだいいのだけれど。あとは日本のプロオケでどこがいち早く演奏会で取り上げるのかなー、など。
最後に、「1Q84」に出てくる音楽の一部を8tracksとして作ってみた。ただ8曲という制限があらかじめあることから、「シンフォニエッタ」より個人的には傑出した大作であると思う「グラゴル・ミサ」の原典版におけるシンメトリー構成(「イントラーダ」を両端に配置し、「クレド」が中心に位置する)を模倣してみた。「平均律クラヴィーア」からの1曲は実際に言及されるBOOK1 第16章に対置される第1巻第16番 ト短調 前奏曲。レファレンスとしてはあまり使えないかもだけど。
http://8tracks.com/cognoscenti/janacek-1q84
バッハ:平均律クラヴィーア曲集 全曲(5枚組) (Bach: Well Tempered Clavier, Books 1 & 2)
- アーティスト: バッハ,ダニエル・バレンボイム(Pf)
- 出版社/メーカー: WARNER
- 発売日: 2008/01/01
- メディア: CD
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*1:たとえば3連符と8分音符を違う楽器で同時に演奏させたり
*2:ブーレーズが近年ヤナーチェクを振るのもそういった純音楽的な関心からだろう。そして、その広範な音楽活動により今年の京都賞を受賞することが決定した。敬愛する音楽家としてとても嬉しい。http://www.inamori-f.or.jp/ja_topics_090619.html
*3:あと個人的にアニメを引き合いに出しておくと、上記Key作品のアニメ化もそうだけど、「コードギアス 反逆のルルーシュ R2」かな。Cの世界やCCという存在