cogno-SIC

cognoscenti(こぐのん) notes (mainly classical music)

長崎佐世保事件を思う

今日は更新予定なかったけど、少し惜しい気もするので、
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2004/07/post_22.html#more
を見た感想を徒然と。

最近私はどうもTVメディアってつくづく無責任な媒体だと感じる。TVメディアもインターネットもひとつのメディアだから、TVメディアがインターネットを簡単に悪だと批判するのは、自分たちの存在意義を守るための防護術として非常にごもっともなんだけど、ただそれだけのために言ってるのでは、と感じる節が多々あります。やはりセンセーショナリズムに陥っていて、単純に「インターネットが悪い」といってしまうのは簡潔で気持ちいいし、大衆に受け入れやすいけど、そういった単純な主張で視聴者を引き付けて視聴率を稼いでしまおう、という目論見がまったくないとはいえない。やはりTV業界における視聴率至上主義はかなり根深いものであるように思う。TVにおける評価がそれだけしかないという現状は認めるものの、これは異常な状態だ。早く多様な評価形態の確立を目指してよりよいメディアのあり方を各人が模索すべきなのかもしれない。そうしないとTVメディア自体が悪となりかねない。私は新たな評価の方法として草野厚氏の活動に注目している。SFCに入ったらプロジェクトにも入ってみたいが。
http://www.imr.or.jp/


長崎の佐世保事件はなんとも痛ましい事件であった。少女がチャットにはまっていたことが注目されているが、私が感じるところでは、少女が一人でネット世界にはまっていったのだろうか、と思う。もはや悪いのは何者でもない、ただ少女がネット世界に入り込んでいったと。私が親しくしていただいている情報学博士の方(予備校講師もやられている)の話では、情報学の教授の間でも、子供にどうコンピューターを教えていいのかよくわかっていない、ということであった。今後の情報教育のあり方の大いなる議論と結論をじっくり待つほかないが、やはり我々が現時点でできるのは、大人がインターネットをする子どもたちをしっかり見守っていくしかないように思える。それが過度の管理であって、過度の干渉は子供の発達を妨げる、という批判は大いに認めるけど、未曾有の事態を防ぐための最善策として現時点でできることは、もはやこれのみではないだろうか。


私もネットを楽しんでいる以上、それによる影響を少なからず受けいているわけで、それがどんな形で実世界に表れるのかもコントロールできない。でもやはり守るべきことはネットをやりすぎないことであって、実社会での対話、労働、人付き合いで得る喜怒哀楽を忘れてはならない、ということだろう。ネットをやっているとなんだか皆一緒の人格に画一化されている気がするし(皆2chの影響を受けている)、そういうことは、違って当たり前の人間が人間でなくなることなのかもしれない。ネット世界の動向こそ我々が実社会の感情でもって注意して見ていかなくてはならないと感じる。