cogno-SIC

cognoscenti(こぐのん) notes (mainly classical music)

事のあとは無秩序

(キーワード「西宮」から遭遇)

突風で左右に揺れ続ける電車の中で、震災を思い出した。




当時、私は西宮に住んでいた。

地震の直後は、電気も電話も通じず、全く情報が入らないまま数日。その中で、隣近所に声を掛け合い、手探りでの復興作業が自然と始まった。被害の軽い私の家にも、大学生のグループが度々来てくれて、「困ったら連絡してください」と連絡先を教えてくれた。

その一方で、こういう人も見た。

地震の翌日に募金箱を持って被害の軽い家々を回り、「お互い様なんだから助け合いましょう」という名目で寄付を募ってきた人。

後で、それが他県の人だったと聞いた。

避難所で、水とおにぎり2個を、千円で売りに来た家族。

テレホンカードを倍の値段で売る人。(当時は公衆電話が一番通じ易かった)

被災者の写真を撮って、談笑しながら帰っていく人。




何か大きな事が起こると、最初は皆、次に何が起こるかを待つ。そこまでは同じ。

だけど、その次は無秩序。だから、想像も出来ないことが起こったりもする。

携帯で話す人が、もしも自分の身内だったら、あからさまに舌打ちなんてしないだろう。

おにぎりを千円で売ったりもしないだろう。


でも本当は、そんな大きな事があった時に、身内だ他人だと区別する事こそ、くだらない?ちょっとずれてるか。

ともかく。イライラの電車内は、あの時のことが思い出されたのでした。


台風で思い出したの日 - Untitled...

地震のとき、私はそういった“想像も出来ないこと"をする人には遭遇しなかったが、話には聞いたことがあった。本当に事のあとは無秩序なのだ。同感。


やはり被災者とまでは言えないけれど、あの地震に出くわした一人として、あの地震について語ることはもはや義務のような気がする。いづれ「おほなゐ」(天野正道)に絡めて語るとします。