cogno-SIC

cognoscenti(こぐのん) notes (mainly classical music)

久しぶりにドヴォルザーク8番を聞く(次におそらく9番)。実に軽快でよい。マーラーの9番ばっかし聴いていると重くなりすぎるから、脱出するのにいいチョイスであった。そういえば先輩がドボ8のTimpをやってたときは音が「バリバリ」いってましたなぁ。ああいう風にはならないように心がけて、結局消極的なTimpanistから抜け出せませんでした。いや、今でもいい音は叩けるつもりです。


センターの試験会場にうんざりする。現役時と同じ所である。これで天気が曇ったりしたなら最悪だ。あんなちゃっちい教室の暗い雰囲気を思い出すのは堪えれない。めっちゃくちゃ晴天になってくれないと行く気しないぞ。せめて私学にしてくれ。前回もそうだったけど、何でセンター当日って曇りなんですか?からっと晴れろよ。


思えば今年の一番の収穫は、音楽ならやはりマーラーだったと思う。そしてここ、はてなである。まだ1年を総まとめする時期ではない。というか(既に少しやってしまったが)まとめる行為に意味があるのだろうか。年をとれば相対的に1年という時間は短く捉えられる。「あっという間の一年でしたね」という発言は全くもってつまらない発言であることに気づかなくてはならない。対して「すごく長かったです」は少し感覚がおかしいか、素直にその個人にとって充実しすぎていたと捉えてもいいだろう。だがいづれにせよ、ただ毎年同じように区切ることが、果たしてどういう意味を持つのだろうか。私はとっても疑問なのである。時間というあわや絶対に見えるものを軸に据えて、振りかえる行為、私には考えれば考えるほど意味があるのか疑問になる。私は「常識を嫌う人間」なのである。カウンセラーに「問題は常識的に解決されることをお薦めします」と言われたのである。


先日、友人のアンコンの指導についていった。私のことを気遣ってくれて「ドラムを見てあげて」ということだった。楽器に触れるのは4ヶ月ぶりだ。それでもなんとかなったのはパーカッションだからだろうか、遠慮せずに私の素質といったらいいのだろうか。
中学校に入る。なぜ学校はどこもかしこも面白みのない建物なのだろう、と思う。だが、それが学校を学校たらしめていると思えば、それ以上は思わない。中学生はまだまだ小さい。
友人が作った曲は実に≪アンコンにとって≫前衛的な曲だ。この曲がいったいどんな評価をされるのか楽しみだ。ドラムは私の専門外中の専門外なのだが、一応教えてみた。ドラムの子のとは別のドラムがあり、それにはスネアがなかったので、トムのみを叩いて真似事をしただけでことは済んだ。フィルインがつまらないから若干手を加える。のみこみは中学生としては早い方で良かった。先日「人付き合いが苦手な方」という検査結果が出たから、教えることにかなり不安ではあったが、なんとか後半は上手い具合に指導できた。友人の「迷いはみせんかったか?」という問いに一応Yesと答えられた。友人は「先生」と呼ばれて非常に部員から慕われているようだ。告白もされたらしい(笑)。夏のコンクールで彼は課題曲のみ指導したが、ほとんど評価が「A」だったということで、やはり友人は実力の持ち主だと思った(逆に顧問が振った自由曲は評価がよろしくなかったことを考えても)。


指導後焼肉食べ放題に行き、チューハイライチで酔っぱらってしまう。酒を飲みたいと思いながらも1人ではできなかったので、酔っぱらえてよかった。つくづく今唯一の友人の存在に感謝。別れ品に友人の言うことを聞き逃したことを注意され、反省。


そろそろコンサートの告知でもするか。