cogno-SIC

cognoscenti(こぐのん) notes (mainly classical music)

そういえばはてなのEさんのプロフページをチェックし忘れてたなぁと思い出し、さらにEさんは私の「哲学って何?」という投遣りな問いに昔答えてくださったことを思い出し、そうして その答えてくださった日付を見つけ、逆に私は何を書いていたか?とその月のページを読み返すと、非常に幼稚だなぁと思いつつも、学問の話については「漢字を使ってるなぁ」と変な関心をし、そして今、昨日職場を苛立ちながら逃げ出し、「ツァラトゥストラだ!ツァラトゥストラだ!」と頭の中で連呼しながら、この本を買ったことを報告しよう、と思った。

ツァラトゥストラ〈1〉 (中公クラシックス)

ツァラトゥストラ〈1〉 (中公クラシックス)

ツァラトゥストラ〈2〉 (中公クラシックス)

ツァラトゥストラ〈2〉 (中公クラシックス)

先日私は京都賞の記念講演会で大変な感銘を受け、また「永劫回帰」の思想をこの身で体感した気がした。
今年の受賞者は、先端技術部門:ジョージ・H・ハイルマイヤー博士(液晶を用いた平面型表示装置の実現への先駆的貢献)、基礎科学部門:サイモン・アッシャー・レヴィン教授(空間生態学の確立と生物圏に関する複雑適応系理論の提唱)、思想・芸術部門:ニコラウス・アーノンクール氏(古楽演奏の確立に貢献し、古楽演奏の視点から近現代音楽の作品でも新鮮な解釈を行っているオリジナリティに富む演奏家) であった。講演の内容を記しておきたいのだが、まとめるのに力不足だし、力不足だし、…ちくしょう力不足だ。
ただ、あの日以降、私は過去のことを走馬灯のように思い出しては、その一つ一つに意味があったと実感し、自然体で生きれている気がする。そして、自分のしたいことは何なのか、自分のしたいことに必要なもの(情報・商品)は何か、まず何をすべきか、すべて感性でもって瞬時に把握できる気がしている。
ここの更新頻度が落ちてるのは、余所の隠れ家で「手がキーボードを打つままに」文章をあげてるからでもあるが、ここはもう少ししっかりした意見表明の場・知の共有の場にしたい、という自分自身の目標に縛られ(概して我を表明する精神状態ではなかった)、(他者にとっては関心を引かないような)買ったCDの記録を晒してお茶を濁していた。そんな状態も嫌ではあった。そんな状態を打開するための、この文章。

大学には入ったが、今大学には行っていない。寧ろ、今は遊ぶときだ、という認識である。ようやく遊ぶための敷地(環境と精神状態)が私に与えられた、から。遊ぶと言うのが間違っていれば、感性に任せて堅実に行動する、という表現になるか。言ってしまうと、計画的な浪費!

新書も、新刊を買っては、積読状態。でも、そろそろ一読できそう。

CDは、報告してる以上に、大量購入中。



要するに、そんな私の頭の覚醒状態を、伝えたかっただけなのかもしれない。学問の話、してなかったし。一応、知識人というニックネームだし。(じゃあ大学行けよ)

あっこれを講演会の1時間前に買った。

ヘンデル:メサイア(全曲)

ヘンデル:メサイア(全曲)