cogno-SIC

cognoscenti(こぐのん) notes (mainly classical music)

「知の共有〜このHPへの思い〜」(HP概要・設立趣旨)

クライバー指揮《運命》


以下の記述は当BLOG To Walk with Wings(以下当HP)のすべての内容について
誤解が生じないように記すものです。
当HPを訪れた方は必ず熟読の上、当HPをご利用ください。


当BLOG、名称 To Walk with Wings は、はてなのダイアリーサービスの下、
私 intelligantsia(Profile http://d.hatena.ne.jp/intelligentsia/20040625#p2)(以下私)が
運営、管理を行っております。


そもそもなぜこのBLOGを開設したのか。
その理由は私の明確な目的にあります。


その目的とは、Web上で「知の共有」・「コミュニケーション」を行う、というものです。


「知の共有」とは情報学でよく使われる言葉らしく、
私はまだこの言葉を十分理解できてるとはいえませんが、
この言葉の持つ意味を私は次のように考えています。


人間は他の生物と同様に先天的な知(生きる術(すべ)等)を有していますが、
そのほとんどの生存期間を後天的な知(智慧・知識等)の獲得に
費やしてるといえるでしょう。
もちろん人間の行動の種類はそれだけにとどまりません(衣食住・遊び等)が、
私が人間の行動の中で注目したいのはそのような知の獲得です。


知の獲得は私たち人間の生というものをより豊かにするものだと、私は考えています。
ここで豊かさとは量・質の双方の充実を指します。
何かを新たに知るという楽しみ、それによって得る喜びは
私に限らず人間に共通のものでしょう。
もちろん知には私たち人間をマイナスの方向に陥らせるものもあります。
ですがそれをも含めた知の獲得とは、
結果として私たち人間を感情面、知能面など
さまざまな人間の側面を横断して、総合的に豊かな人間を形作るのです。


その知の獲得の手段とは、
個人が所有する知を「対話」・「コミュニケーション」を通じて共有させることです。
これが「知の共有」ということです。
先生と生徒という人間関係をひも解けば、
先生が黒板の板書や言葉を通して生徒に教えるという
一種の「対話」・「コミュニケーション」を実行し、
生徒がその「対話」・「コミュニケーション」を介して知を獲得する、
という「知の共有」のひとつの形が見えてきます。
つまり先生が有する知を生徒との間で共有させるのです。


私はこの「知の共有」・「コミュニケーション」を己の欲するままにしたいのです。
もちろんこれらはWeb上にかぎらず、
生身の会話、メディア等をを介してでも行われるものです。
でもWebという場は他の「知の共有」の場にはない特徴を持っています。
それは無限大の一期一会の可能性が開かれている、ということです。
性別・年齢に関係なく、国境を越えて人種に関係なく、「知の共有」・「コミュニケーション」
が行える環境がWeb上にはあります。
またWebは現在発展段階であり、
その意味においても無限大の可能性が開かれています。


私の考えに賛同される方も、そうでない方も、私にコミュニケイトしてください。
それが一言であっても、超長文であっても、私は喜んで歓迎します。
ぜひぜひコメント・トラックバックしてください。