cogno-SIC

cognoscenti(こぐのん) notes (mainly classical music)

なるようになる・大学に行く目的

※このエッセイはhana-bisさんに対して失礼な発言をしたお詫びとして書くものです。また私がよく言われる学歴コンプレックスとは違う学歴の見方を持っていること、私が大学に行く目的とは何か、また大学に行く目的についての私の考えを記すことで、私がhana-bisさんの「やりたいことをやる」という姿勢に賛同しているとともに、敬意を示すものです。


13歳のハローワーク/村上 龍 (著)
13歳のハローワーク』が話題だ。私の家にもある。
もっぱら知らなかった仕事を少し調べてみたりするのに使ったりする。大体の仕事に関して客観的な説明がなされているが、政治家になることだけは作者は薦めていないようだ。永田町の世界はかくも異常なのだろうか。

この本の主張は『好きなことを仕事にしよう』というものだが、私もまったくそのとおりだと思う。世界を見れば好きではない仕事にやむをえず従事している人もきっとたくさんいるだろう。だが我々は幸いにも好きなことを仕事にできる国に住んでいる。たくさんの仕事が我々には選択ができる。その中から自分の好きなことに合っている、あるいは近い仕事を選ぶことが可能だ。

『好きこそ物の上手なれ』という言葉があったような気がする(かなり怪しいが)。おおよそ『好きなことはすぐ上手になれる』という意味だろう。好きなことをやっていると時間を忘れ、ストレスを感じず、いつまでもやっていられる。そしてすぐ上手になる。私も吹奏楽=音楽が好きだったからブラバンに熱中できたし、楽器の技術の向上もできたと思う。

好きなことは何も考えずにやっている、ということが多い。だから就職の際、自然と好きなことに近い仕事をセレクトしているのは不思議なことではない。というより皆、好きな仕事を選ぶものではないだろうか。
hana-bisさんは「なるようになる」と幼いころからの憧れであった司書の仕事に就かれているが、やはり好きであれば「なるように」なって、いつのまにか「なってしまう」のだ。何も意識的に考えなくても「なってしまった」ということになる。私も実にそう思う。これは運命というべきなのだろうか、なんともいえないが、やはり人間「なるようになる」のだと思う。

だからhana-bisさんが「学歴なんて関係ない」というのもわかるし、私が学歴で評価をされたくない人もいることをよくわかっていなかったことは本当に反省している。でもここでひとつ、なぜ私が『慶應=賢い』という判断をしてしまったかを説明しておきたい。


『学歴社会はもう終わった』という人がいる。しかし履歴書の欄にはしっかり『学歴欄』がある。決して社会に学歴というものがなくなったわけではない。人の評価の一つの基準として『学歴』は今でも使われている。就職において学歴を重視しない企業が大半を占めてきたことは事実だが、一方でやはり『○○大学以上』という隠れた基準を置いている企業はまだまだ存在しているという。

学歴が評価の一基準となりえるのはなぜだろうか。それは大学におけるあらゆる格差が生じているからである。少し話はそれるが大学の格差について以下記してみたい。


私は昨年度の一年間、東京で新聞奨学生をしながらSPSという予備校に通っていた。そこで私が授業を受け、今も宅浪の身ながら同校HPの掲示板で私の質問に答えていただいたり、メールのやり取りを恐縮ながらさせていただいてる方がいる。その方は副職としてSPSで予備校講師をされており、本職をとある大学の図書館館長や研究所のフェローを勤めていらっしゃる。

私の大学に対する見方や将来のキャリアプランなどはその先生の考えやお言葉によるものが大きいと思う。ある時私がどの大学を受験するか相談をした際、このようなことを言われた。

大学は遊ぶ目的で行くならばどこに行こうが変わりはありません。ですが、純粋に勉強しに行く場合、どこの大学に行くかは慎重に選ばなくてはなりません。しっかりした教育がなされている大学もあれば、例えば経営論ならばケーススタディだけ教えて理論を教えないところはたくさんあります。(おおよそ大意)

先生は教育がしっかりされてない大学を出た結果として、4年間専門の週刊誌を読んだだけのような勉強を送ることになってしまう、とも言っておられた。

この考えは間違っていないと思っている。遊ぶ目的で大学に行くならばたとえ東大に入ろうが地元の大学に入ろうが変わりはないだろう。例えば「スーフリ」という名で話題となったあのサークルのメンバーには東大生も含まれていた。これは推測に過ぎないが、あの東大生はもはや東大というブランドを使って遊ぶことしか頭になかったのではないだろうか。もはや大学に行く主目的は勉強ではなかったのではないだろうか。

もちろん大学に行く目的は人によってさまざまだし、何も勉強する人のみを大学側が望んでいるわけでもないと思う。就職のための人もいれば、やはり純粋に遊ぶために大学に行く人もいるだろうし、いていいと思う。大学はそんないろんな目的の人たちに門を大きく開いている。

だがやはり大学の中心となるのは教育であると思う。大学はやはり教育機関なのである。おおよそ日本にある大学には教育体制なるものが整備されているはずであるし、整備されてない大学はもはや大学ではない。

そこで私を含めて勉強に行きたいと考える人は大学に行くわけだが、どこの大学でもいいというわけにはいかない。地理的な条件(大学への距離など)や親しい友人との関係などもあるが、どのような勉強ができるかというのが私の最大の問題である。教授の質、体系だった教育体制、教育施設の整備、教授一人あたりの生徒数の割合などがもっぱら私の関心ごとである。

だが教育設備の是非で大学を見た場合、おのずとどの大学が充実しているかはわかってしまう。東大を始めとする国立大学や有名私立大学がやはり充実しているのである。それらの大学は伝統があり、それによって培われてきた教育体制、卒業生の評価が確立している。そして教授も充実している。

hana-bisさんが卒業された慶應義塾大学もそういった伝統校である。卒業生の評価も確立している。もちろんそのような一般的評価をhana-bisさん個人に押し付けてしまったのは大変恣意的なことであったし、反省している。私があくまで一般的な慶應の卒業生の評価を言ったことを、どうかご理解ください。


私は何も大学の名前だけで大学受験をしようなどとは思っていない。もちろん出願候補を絞る段階である程度大学の名前による判断をするものの、それはやはり大学間の難易度の違いによるものであって、大学の名前だけで受験の選択を縛られたくないと思っている。私は単純に勉強しに行くために大学に行きたい。私のしたい勉強を大まかに言えば「社会科学系に属しながらも教養を身につける」というものになるが、興味のある学問はProfile(http://d.hatena.ne.jp/intelligentsia/20040625#p2)で述べたとおりである。特に受験Data(http://d.hatena.ne.jp/intelligentsia/20040627#p4)では私のやりたい学問を最初に持ってきて、その学問の教育が充実しているところを大学順に並べた、という意図がある。

私は今ごろしっかり大学で勉強しているはずであったが、センターリサーチにまんまと裏切られて、やむ負えず宅浪の身となっている。私が今現在やりたいことは勉強だし、音楽である。勉強するために受験勉強が必要なのは百も承知だけど、受験勉強に求められるものと学問に求められるものとがあまりに相違しているように思われて、それゆえに受験勉強に対するやる気が沸いてこない。これは言い訳に過ぎないけれども、この状態もいずれ「なるようになる」と思い、日々過ごしている限りである。