cogno-SIC

cognoscenti(こぐのん) notes (mainly classical music)

震災から10年

私は確かに被災者である。あの地震を2段ベットの上で布団に包まって体験した。家のライフラインは一時的に全てストップした。家はひび割れした。多くのものが破損した。


でも私は無事にこうして今も生きているし、家族も、親戚関係も、さらには学校のクラスメイトでさえ訃報を聞くことがなかった。本当に奇跡的だ。亡くなられた人、さらにその遺族、そしてさらに親しき友人などのことを考えると、奇跡的と言わないと申し訳ないように思う。


そんな私は今日、早朝バイトの為に5時に起きたが、あの地震発生時刻に様々な思いを馳せている人々とは全く関係なく、通勤中にその時を過ごした。携帯を弄ってたと思う。仕事をしながら、「あっ、もうあの時は過ぎてしまったのか。」と気づいた。帰宅しても、12時の黙祷の鐘が鳴らされることなど知らず、いつものようにパソコンの前にいた。



…私にとって震災はもうそんなものでしかないのだ。それが自然と出た今日の私の態度だったのだ。私は震災から10年というこの日に、自分の震災に対する態度を知ることとなったのだ。


だから、もはや震災を語る資格などないだろう、もっと震災を語るにふさわしい人がたくさんいるはずだ、と私の倫理観としてそう感じる。


でも、やっぱり忘れてはならないのだ。
電気が10分もしないうちにすぐ復旧したのも電気会社の人々のおかげであるだろう。水道が復旧するまで水を提供してくださったのは自衛隊の人々のおかげである。学校でも簡素ながら給食が提供されたのもそう。個人的には、風呂に入るために大阪まで通っていた頃、親戚の喫茶店を経営している方がお腹いっぱいに無料で御飯を食べさせてくれたことである。


私は当時をあまり苦と感じずに過ごしていた。それは上で「奇跡的」と書いたことも含めてである。子供であったからかもしれない。
だが苦と感じずに過ごせたのも、あの時本当に多くの方々が支えてくださったからなのである。


そのことを決して忘れてはならない。


私はあの頃を思い出す際、人々が支え合うことの必要性を改めて強く思わなければならない。それが私の努めである。それを語るという行為で行わなくても。またそれは別に今日のような節目の日でなくてもよい。あの頃を思い起こす時、自分の中で思えばそれでいい。




間違ってるかもしれないが、私はそう思う。