cogno-SIC

cognoscenti(こぐのん) notes (mainly classical music)

不可知にとどまる/素直・正直

「クシャミをしてなんと発音したかと聞かれても答えようがない」(福原愛


卓球の福原愛選手にNHKの有働アナウンサーが問うた。「あの“タッー”とかいう掛け声はなんと言っているんですか?」、それに対しての答えが上の言葉。うーん、福原愛はただ者じゃない! 後生畏るべしだ。<略>
このような「ふてぶてしい」選手が増えてくれば、日本の将来も明るい。最近、素直なよい子が増えすぎた。


via:The world is standoffish to me. - suneoHairWax
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1156498052/E931325818/index.html

(どうやらこのBLOGやってる方は私の近所の学校を卒業したようで。でも母校ではない。)



うむー、私もあの掛け声は気にはなってたけど、やっぱり本人にとっては自然と発せられるものなのだろうから、意識して発せられるものでもないし、逆に聞かれると返答なんてできなかったのだろう。やっぱり国民を代表して*1マスコミの人は聞かなくちゃならないだろうけど、結局タブーな質問だったね。やっぱり本人がなぜゆえにその掛け声を発しているのか考えもせず、ただ答えを求めようとする態度に起因するのかもしれない。
「最近の学生はすぐ答えを聞きたがる」と嘆き、「不可知にとどまること」「なぜだろう、と立ち止まること」の大切さを訴えてたのは予備校講師である横山雅彦先生であったが、これは学生の話だけではないのだろう。「わからならければすぐ聞いてしまえ」という態度は他人に対して迷惑だし、非常に本人にとって有害だし、自助努力をしない人間になってしまう。ネット上でよく非難される「教えて君」とはまさにそういった人間である。
だからネットをやる人はある程度自分で検索HPが使いこなせるほどであってほしいし、そうじゃないとネットも使いこなせない。第一、他人に迷惑ばかりかける。そう、「まず自分で調べてみましたか?」という問いはネット上に限らず、暗黙に常に自分に問いつづけなければならない。私もはてな人力検索なんか使わず、なんであってもまず自分で調べてみるようにしている。




とまあ上の話題に戻りまして、ふてぶてしいですか?愛ちゃん。どちらかというと、素直なよい子じゃないですか?発言がふてぶてしいのが素直なのではないでしょうか。



以下、話題から脱線。


私は礼儀だとか、敬語だとか、社会の慣習に縛られている*2人間なので、愛ちゃんのようなうまい返答ができるような人間になりたいですが、おそらく無理だと思います。また他人への配慮を怠らない性質なので*3、そんな発言は容易にできません。この世の中、素直に生きられません。かろうじてこうやって素直な意見をネット上で暴露できるぐらいです。現実逃避としてのネットの役割がここにあるわけであります。


私が少なくとも素直に(正直に)思いを表現しようと努めているのは、『社会心理学山岸俊男氏が「正直こそ今の社会でもっとも強い」と言ってましたよ』、とコピーライターの糸井重里氏がTVでしゃべってのを聞いたことに大きく因っています。又聞きなわけで、山岸氏の著作だとかは読んだことはないですがね。


(ちなみに私が山岸俊男氏を知ったのは、京大経済学部論文型の過去問で、同氏の「信頼の構造」が2001年度に出題されていたから。問題を解こうとはしませんでしたが(ぉぃ、読みました。大学入ったら氏の著作は避けて通れなさそうだな。)

*1:そうだとは大いに言えないと思うが、あえてこの表現を使ってみる

*2:もちろん、そんなのごめんだ

*3:これを私の周辺の方々は「優しい」といってくださるのだが、決して私は純粋な優しい人ではない。おそらくそのような性質で振舞うのはもっとほかの理由があるからだと思うが、これを正直に書くことはできない。