cogno-SIC

cognoscenti(こぐのん) notes (mainly classical music)

1000円未満の所持金、頽廃する思考、私

最近日記風にしか書けません。今まで短い人生の中でも一番怠惰な日々を過ごしてるのではなかろうか。受験、何それ?


ストラヴィンスキー全集の方は返却日が過ぎてしまったというのに相変わらずマーラーばっかし聞いてます。「悲劇的」第4楽章の25分経ったあたりでTimpaniの一撃でぱっと雰囲気が変わるところが好きだ。あとTimpaniが刻む象徴的なリズム、あの装飾符が1つだったり2つだったり3つ?だったりするのが面白い。全集の方はライナーノーツがないからそりゃ聞く気になれんわな。唯一のクラシックの勉強教材だというのに。


私はいつか楽典だとかをやらんといかんなぁとは思うものの、そもそもどれを学ぶべきでどの順序ですべきかもよくわかってないし、そもそも何の目的かさえもよく考えてない。高校には音楽科があったけどよく分からない。教養としての音楽を学ぶところが増えてるって話をどこかで耳にしたが、どこにあるんだ?それはど素人が1から音楽を学べるところなのか?うぅー無知を晒すのはどうかと思うけど、知らんものは知らん。調べるのも、自分が調べるという行為に嫌気がさして、あまりやろうと思わない。ろくに調べれないし。ネットは確かに知りたいことが内在してるとは思うのだけど、もう膨大な情報量に打ちのめされてる状態。義務教育過程で情報収集技術を教えて欲しかったよ。
一般人に分からないということを無理矢理日本の音楽界(クラシック)の閉鎖性に押しつけたい気もする。ジョン・健・ヌッツォ徹子の部屋に出演してたのをたまたま見る機会があったのだけど、イタリアのコンテストに優勝したのに日本で活躍しようとしても相手にしてくれなかったということを話していた。ああ良くも悪くも日本は島国なんだなあと思った。意味するところや文脈は絶対違うと思うが、変にこのことが連想された。
私は吹奏楽でクラシックの作品が編曲されたところからクラシックに入っていった。それまでもクラシックは聞いたことはあったけど、クラシックに目覚めるまでに感化されはしなかった*1。編曲ものの原典(オケ)を聞かねばならぬ、という思いからだった。別に吹奏楽で聞いていなくても吹奏楽で編曲されてると聞けば元を聞いてみた。純粋にクラシックを追っていくのは吹奏楽部を引退してから。
でも吹奏楽をやってた周りの人を見渡しても誰もそんなことやってない。元を聞かないというのは作品を非常に疎かに扱ってないか?これは結構いかんことやってるような気がする。誰も「元を聞け」なんて教えない。私はこのBLOGで吹奏楽とクラシックを一緒に話題にする際、このことを結構言ってきたように思う。


寄り道したが、こういうわけで私がクラシックに関して有する知識は情けないほど断片的で使い物にならん。無知を恥じるばかりである。どのように皆さんがクラシック通になったのか、そこが分かりません。といってなにをやるにも必要条件のお金がありませんが。あっても今は無駄なことに使ってしまいます。



これだけの文を書くのに4時間かかりましたよ。他にも、私は物言わぬ生徒ですっかり教育に洗脳されて何も出来なくなってしまったことだとか、中学校のネタだとか(数日前草稿を書いたけど未完)、文句をたらたら言いたいんですけどね。最悪デス。

*1:小学生低学年の頃に小澤征爾指揮の歌劇「ファルスタッフ」の公開リハーサルに連れて行かれたことがあるけど、もちろん感銘を受けなかったし、寝てただろうし、中身はちっとも覚えてない