cogno-SIC

cognoscenti(こぐのん) notes (mainly classical music)

同女音大音科17thパーカスアンコン(略しすぎ)に

行ってきた。

同志社女子音楽大学音楽科 第17回打楽器アンサンブルコンサート
空間と音が生み出す無限の彩

2006年10月25日(水)
開演/18:00〜 開演/18:30〜
場所/京都府民ホール アルティ


前田佳保里さんがデザインしたという、スティックを持った手に、天使の羽根や植物の葉が織り込まれ、さらには人の顔まで見える(!)キュビスム的な表紙に、何度も見入っていたら、程無く開演。曲の間にアナウンスを入れ、一般の聴衆の方に少しでも、打楽器の概要、および曲の概説を行う演奏会様式は、パンフレットですべてを伝えられると思い込んで、「はい、おしまい!」と片付けてしまう評論家が多い中で、音楽家ともども真摯に検討すべき様式であろう。もうすでに、音楽は、単に音楽なのではなく、総合芸術の中で捉えられるものなのだ。

Gareth Farr作曲"Little Sea Gong"は、同作曲家のオーケストラ曲"From the Depth Sound the Great Sea Gongs"のいわば縮小版で、16分音符を重層的に並べたシンプルなものだが、躍動感あふれる好演。

Nicolaus A. Huber作曲「秋の収穫祭」は、中谷満さんによる指揮の下、ヘルダーリンの詩を読みながら演奏するという、声と音の相乗効果を狙ったものだが、それよりも、濡れたタオルを水につけて、それを持ち上げるという、ごくごく生活的な仕草が芸術につながるのか、と度肝を抜かれた聴衆も多かったのではないだろうか。

つい最近、高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門を受賞したSteve Reich作曲"Drumming"より第2楽章は、いつまで続くのだろうという無限性が、恍惚感を生じさせ(楽器移動の間に行われた拍手によるアンケートでは、一番拍手があがった)、CHRISTEOPHER ROUSE作曲"KU-KA-ILIMOKU"のビート感や、まさに出口のない火口、近藤譲作曲「火口」、幾何学的な美学とでも評せるような、Iannis. XenakisのPLEIADESより「メランジェ」、最後は毎回恒例という、ラヴェル作曲「ボレロ」と、盛り沢山の演奏会だった…


…わけだが、多分こんな(?)打楽器的ラフさが、私が打楽器から離れたいのにやめれないという、しどろもどろの状態を認知させた演奏会でもあったよーん、というのが真実か(笑。いやはや、「音楽をやめる。」とは意味なき発話なのだな、と一人感慨にふけってたのは内緒。