cogno-SIC

cognoscenti(こぐのん) notes (mainly classical music)

毎日生きている証とは

このBLOGしか見ない人が、私が毎日生きていることを確認するのには、このBLOGが毎日変化していることを確認すること、なのかもしれない。だがそれは、必要条件でも十分条件でもない。私はやはり、拡散して、多である気がする。
現在読み進めている西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)には、「一」「多」にまなざしが注がれていて、プロクロスだと「一を分有するものはすべて一であるとともに、一ではない。」である。「二」をめぐるアポリアだとか(セクストス)、その議論はプラトンパイドン』篇を起源にしてたりだとか、思索は多重を呈するが、ともかく、私という「一」を見出すのが、なんと難しいことやら。自己同一性(identity)という語は、なかなかに無理がある。